なぜ、私が面会交流支援をしたいのか?
2023/11/07
前回のブログで、少し書きましたが、私の結婚式の話はてっきりホームページにもブログにも書いていると思っていました。
どこに書いたんだろう~(笑)
私の14歳の時に両親が離婚しました。
母はもちろん父には会わせない、という感じでした。
そのうち、私もとても優しかった父を何故か嫌いになりました。
まあこれは、小学校5年のときから、母のカウンセラーのような役目をしていた影響もあるかもしれません。
父は何回か私の中学の友達を通じて会いたいと言ってくれたにもかかわらず、私は会いたくない、と会わずに、14年間過ぎました。
でも、自分がやっと結婚を決めたときに、やはり生命があるのは父のおかげたから、式に出てほしいと思い、夫と一緒に父に会いに行きました。 父はもっと早く来てほしかった、とは言いながらも、喜んで式に出ると言ってくれました。
母には事後報告で、予想通り、狂ったように、あの人出るなら私は出ない、とまで言いましたが、私の腹は決まっていたから、わかった、じゃあお父さんだけ式にでてもらう、と伝えたら、ヘナヘナと座り込み、好きにしたらいい、と母が折れました。
当日は、14年ぶりに両親が並ぶのをみて、それだけで感激でしたが、後で母から、
「正二郎さんが、文子をこんな素直な娘に育ててくれてありがとうm(_ _)mと言ってくれた」と号泣しながら私に話しました。深々と頭を下げてくれたそうです。
母は、3回結婚、離婚していて、仕事をバリバリして、世間的には好きなことをする強い女性に見られましたが、私のことは、世間様に後ろ指をさされない娘に育てようと気を張って生きてきたのですね。
父に子育てを認めてもらって肩の荷がやっとおりて嬉しかったんだと思いました。
それから、父との交流がはじまり、父は、私が出産した後、お宮参りなどの行事には父からお祝いをしてもらい、ぜんぶ祖父として来てくれました。
母はずっと仕事で忙しく、行事には来れなかったので、父がいてくれて本当にありがたかったです。
産前産後、私は母に頼ることもなく、ずっと、夫と協力して育児をしていましたが、ときどき、父が訪ねてくれて、娘をお風呂に入れてくれたり、可愛がってくれました。
癌で亡くなりましたが、私への遺書には 父が考える、母の心が自分から離れた理由と、離婚してから、母を選んだ私のことも恨んで生きていた時期もあったことが書いてありました。
14歳の娘に調停で私は母と住みたい、とはっきり言ったそうで、私は覚えていませんが。。
父はつらかったでしょう。
でも遺書の最後に、
「友紀子をお風呂に入れて、こんな幸せな時間が再び来るとは思わなかった、文子と浩二くんが結婚してくれたからだ、本当にありがとう。」
と書いてありました。
父はずっと同じ家に住んでいたから、私は14年経っても会いに行けました。 でも、離婚後ずっと会えずに会いたくなってから会いに行こうと思っても、もう居所がわからなくて会えない子どももいます。
なので、私は、会わないほうがいい特別な事情がない限り、別居後から継続した面会交流支援は大切だと思っています。
子どもがもう親に会う必要なない、と決める日がくるかもしれません。
でもそれを決めるのは子どもです。
離婚した片方の親がきめることではありません。
親に会うのも子どもの権利なんです。
こちらのページに書いていました(笑)
https://nagahama-kekkon.com/feature/20231010091412/
話しがダブってごめんなさいね。
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